2007年07月31日

01.フジロックとはなんぞ?

フジロック・フェスティバルというものを俺が知ったのはいつ頃だろうか。
2007年で11年目を迎えるということは、俺が四国の片田舎から大阪に出てきたのと時期的にはほぼ符合する。
が、もちろんその時点でフジロックなるものの存在は知らなかった。

それから数年経つうちに、サマソニやらライジングサンやらラッシュボールやら、いわゆる”夏フェス”が雨後の筍のように現れ始め、その中の1つとして、フジロックを認識し始めるようになったわけだが、正確にいつ知ったかという確かな記憶はない。
音楽に対してそれほど興味のない人が、
「そういえばフジロックとかいうでかいイベントがあるらしいね」
という認識と、それほど変わらないのではないか。
事実、出演が決まった段階でも、俺はフジロックなるイベントが一体何処で開催されているのか、ということすら知らなかったのだから。

フジロックを明確に意識し始めたのは、2003年だか2004年だか。
SIBERIAN-NEWSPAPERの前に阿守とやっていたバンドで、フジロックの” ROOKIE A GO-GO”のオーディションに応募したときだと思う。
その時はあえなく落選し、そのバンドでは結局フジロックに参加することは出来なかったわけだが。
その時点でも俺はフジロックというものを、それほど強く意識してはいなかった。

それから数年後、SIBERIAN-NEWSPAPERを組閣し、再びフジロックに挑むわけだ。
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2007年08月03日

02.憧れは実現しない

藤田”軍司”一宏
SIBERIAN-NEWSPAPERを知る方々から一般に『軍司』と称されるこの男を、中学時代から『一宏』と呼んでいた俺にとって、今さら『軍司』と呼ぶことにはそれなりに抵抗がある。
小学生のころから同級生だったタラにしても同様の抵抗があるようだし、以前職場の同僚だった山本さんは今でも『藤田くん』と呼んでいる。
だが、おそらくこの記事を読んでいる大半の人の彼に対する認識は『軍司』であろうから、今後文章の上では不本意ながらも『軍司』と記させていただく。

さて、その軍司が、少しまえこんなことを言っていた。
「憧れは、憧れであるうちは実現しない」
一言一句正確にそういっていたわけではないが、大雑把に要約するとこのようなことを言っていたのだ。
例えば憧れの大舞台があったとして、「いつかその舞台に立ちたいなあ」なんて憧れているうちはおそらくその舞台には立てないのではないか。
「そこに立って当たり前」
というぐらいの気構えがないといかんのではないか、という話だ。

その辺り、SIBERIAN-NEWSPAPERのメンバーは不届き者揃いなので心強い。
実は昨年、つまりフジロック’06にもエントリーしていたのだ、我々は。
まだ自主制作のCDを一枚出したばかりで、その時点では2〜300枚程度を何とか売り上げる程度の実績しか持ち合わせておらず、ライヴをやっても30人集められれば上出来、しかも東京・大阪以外では誰もその存在を知らないといった状況にあるバンドが、たとえフジロックに出られなかったとしても、
「まあ力不足だから仕方がない。いつかまた機会があれば・・・」
などと考えるのが普通なのだろう。
だが、中原さんから
「今年、フジロックだめだったわ〜」
と伝えられるや、メンバーから出た言葉は

「なんで!?」


後に軍司は言う
「今年(‘07)フジロック決まったやん?みんなやぁ『フジロック出れて当たり前』って思ってたやろ?俺も思ってたし。俺はそれがよかったんじゃないかなぁ、って思うねん」
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2007年08月04日

03.雄作、不参加の危機

フジロック’06へ参加出来なかった2006年の夏、実は我々は別の野外イベントに参加していた。
オーサカキングという、フジロックとほとんど同じぐらいの時期に大阪城で開催された、大阪ではそれなりに知名度のあるイベントだった。
そしてそのイベントに、なんと雄作が参加できなかったのだ。
公式には『硬筆検定4級の試験を受けに行くため参加を断念』と公表されていたが、実際は他所で演奏の仕事が入っていたため、参加できなかったのだ。
しかも、我々が出演したのは、オーサカキングのメイン会場とは天地ほども離れた場所にある、天守閣の特設ステージとやらで、急勾配の上り坂を、30分ほど楽器を抱えて歩かねばならないという憂き目にあった。
あれは本当に地獄だった。

さて、フジロックに参加できなかった2006年が過ぎ、2007年になった。
SIBERIAN-NEWSPAPERのメンバーは、東京、横浜、大阪と、メンバーが離れて生活していることや、それぞれが別のバンドや演奏の仕事をすることがあるので、事前にNG日、つまり『この日はSIBERIAN-NEWSPAPERのライヴを入れないでおくれよ』という日を13PROJECT執行部に知らせるというシステムがある。
それを参考に、執行部がライヴのスケジュールを組むわけだ。
そのNG日を見ていたマネージメントのタッキーが、とんでもないことに気付いた。
「雄作くん!!きみ、この7月末のNG日はなんや!?」
「何って、岡山で演奏の仕事があるんですけど」
「これ、思いっきりフジロックにかぶっとるんやけど」
「え、フジロック決まったんですか?」
「決まってないけどもやな、可能性はゼロでないんやから・・・。オーサカキングの二の舞はごめんやで」
「・・・・・・わかりました、なんとかします」
「頼むで!!」
「その代わり、絶対決めてくださいよ」
この時の雄作の目に、殺気というか妖気というか、とにかく異様な光が宿っていたことに、その場にいた全員が気付いていただろう。
特にその眼光をまともに受けていたタッキーは、『蛇に睨まれた蛙』の様相をそのまま具現化したような顔をしていた。

それから数ヵ月後、フジロック’07出演決定後にこのことを思い出した俺は、この岡山での演奏の仕事はどうなったのか雄作に聞いてみた。
「断ってましたよ、随分前に。おかげで年末の仕事も1つ消えましたよ」
「いやぁ〜、じゃあ、決まってよかったね、フジロック」
「当たり前ですよ。決めてもらわないと困ります。もし今年も駄目だったなんていったら執行部の連中を・・・」
ここから先は怖くて書けない。

とにかく、雄作不参加の危機はなんとか免れたのだった。
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2007年08月12日

04.作戦名【神々の黄昏】

SIBERIAN-NEWSPAPERは、結成翌年から毎年海外フェスへ出演すべく尽力している。
スイスの【モントルー・ジャス・フェスティバル】とカナダの【モントリオール・ジャズ・フェスティバル】へは、毎年応募しているのだが、残念ながら未だに参加は実現していない。
もちろんそのたびにメンバー間では
「なんで!?」
が連呼されるのだ。
昨年はマンチェスターで行われた【In The City】に出演できたが、今年は1つも海外フェスに出られそうにない。
しかし、来年は上記二つに加えてイギリスの【グラストンベリー・フェスティバル】にも出る予定だ。
「本当に出られるの?」
なんて声も聞こえそうだが、言うのはタダなのだ。

2007年の主要な海外フェスに出られないことが決まった我々にとって、フジロックは最後の望みだった。
だが、春が過ぎ、初夏が訪れても出演決定の報がない。
出演交渉にあたっていた中原さんからは
「内定はもらってる。でもねぇ、まだ確定じゃない」
という状況説明をいただき、その状態が随分長いこと続いた。
フジロックに限らずこういった夏フェスは、まずスケジュールを押さえにくい海外の大物アーティストから出演を決定していくのだそうな。
そして知名度の高い国内アーティストを決めていき、我々のような無名国内アーティストは一番後回しにされるのだ。
そのため、出演アーティストが続々と報じられる中、SIBERIAN-NEWSPAPERの出演は未だ決定しないまましばらく時間が過ぎた。

そしてフジロックの開催を約2ヶ月後に控えた5月の終わりごろのこと。
いつもどおり深夜のコンビニで働いていた俺は、休憩中に携帯電話を手に取った。
すると、待ち受け画面にメール着信のお知らせが出ていたので、そのメールを開いた。

差出人:阿守
件名:フジロック出演決定
本文
作戦名「ラグナロック」
手がちぎれるまで叩け!

SIBERIAN-NEWSPAPERのフジロック'07への出演が決定した。
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2007年08月13日

05.陣形再編

俺がSIBERIAN-NEWSPAPERとは別の用件で東京に行ったときのこと。
いつものように雄作の家で泊まっていると、雄作が一枚のCD-Rを手に取った。
知り合いが撮ってくれたSIBERIAN-NEWSPAPERのライヴ写真らしい。
その膨大な量の写真を見ているうちに、雄作があることに気付いた。
「立ち位置ちょっと変えてみません?」
それまでの基本的な立ち位置は、中心から左右少しどちらかにずれた辺りにヴァイオリン、その反対側にギター2人、外側両端にコントラバスとピアノ、ピアノの前にタラ、中心後方にパーカッション、といったもので、要はヴァイオリンが真ん中辺りに立って、それを中心に立ち位置を決めるというものだった。

雄作の新たな提案は、パーカッションの中央後方はそのままにし、前方の中央にギター2人を据えてしまおうというものだった。
そして左右両翼にヴァイオリンとコントラバス、ヴァイオリン外側後方にピアノ、コントラバス前方中央よりにタラという立ち位置だ。
「なるほど、鶴翼(かくよく)の陣やね」
中央から外側に向かって広がっていく形が、古代の陣形を連想させた。

新しい立ち位置を思いついた雄作は、早速メンバーに伝えた。
「なるほど、鶴翼の陣かぁ」
予想通り、阿守は俺と同じ感想をもったらしい。

それから2週間ほど後の7月14日、京都駅ビルでのライヴが控えていた。
京都駅敷地内とはいえ、その日は野外であり、しかも3ステージを予定していたので、フジロックの模擬戦にはうってつけの日だった。
陣形やセットリストなど、いろいろ試すには絶好の機会だ。
ただし、お客さんを楽しませるというのは大前提だが。

ともかく、フジロックの前途を占うといっていい京都駅ビルのライヴが近づいてきた。
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2007年08月15日

06.模擬戦は訓練へ

京都駅ビルのライヴが行われる7月14日が近づいてきたのだが、それと同時に台風も近づいてきた。

SIBERIAN-NEWSPAPERは以前、京都駅ビルのライヴイベントに出演したことがある。
その際、用意していたCDが売切れるなどかなりの好評を得たため、雄作なんぞは翌7月15日に東京で演奏の仕事を控えているにもかかわらず
「京都駅ビルのイベントなら!」
ということで、トンボ帰りを承知の上で大阪に向かっていた。
そして大阪に到着するや
【明日の京都駅ビルイベントは台風接近のため、安全を考慮して中止となりました】
との報をうけることになった。

しかしせっかく来たのだから、ということで、長時間の練習に入った。
実は翌8月末〜9月初頭にかけて、2ndアルバムのレコーディングを予定しており、その曲作りとフジロックの練習を兼ねた強化訓練に入ろうというわけだ。
強化訓練などと大それたことを言ってはいるものの、結局は数時間程度のことだが、それでもやらないよりは幾分かマシだろう。

その訓練の休憩中、スタジオと同じフロアにあるライヴハウスの店長、鬼マネージャーことタッキーが現れた。
「君ら、2週間後にフジロックを控えとるワケやけども、準備は進んどるか?」
フジロックといえば山の中。
山の中といえば虫が多かろう、という程度の想像しか働かなかった俺がその時点で用意していたものは、携帯用の蚊取りぐらいのものだった。
「平尾くん、君は何でそういう”あると便利やけど必需品とはいい難いもの”をピンポイントで用意するんや?イギリス行ったときも緑茶やら醤油やらは用意して重宝がられたけれども、現金は用意しとらんかったやないか。1週間のイギリス滞在で5000円はないで」
余計なお世話だ、話がずれとるではないか。

とにかく、そのとき我々はタッキーからフジロックフェスティバルの過酷な状況を聞いたのだった。
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2007年08月17日

07.さながら苦行

フジロックは山の中で行われる。
まず過酷なのが昼の暑さ。
それはそうだろう。
7月末といえば夏真っ盛りなのだから、暑くないほうがおかしい。
それは容易に想像がつくのだが、さらに恐るべきは夜の寒さ。
想像以上に冷えるらしく、防寒具は必須アイテムらしい。

そして雨。
フジロックは今まで必ずといっていいほど雨に見舞われているらしく、しかもSIBERIAN-NEWSPAPER一行には雨男であるこの俺と、『嵐を呼ぶ女』ことスタッフの陳さんがいるので、雨に関しては覚悟を決めておく必要がある。
人が多すぎるので傘をさすのはまず無理。
必ず雨合羽(あまがっぱ)を用意せよとのこと。
あと、楽器の防水対策も各自考えておけとのことなので、俺は大きめのゴミ袋を用意することにした。
幸い俺の楽器類は基本的に合成樹脂×プラスチックヘッドという、雨に強いものばかりなので、ほとんど心配する必要はないが、他のメンバーは相当気を使わなくてはなるまい。

駐車場からステージまでの距離も相当なものらしく、歩いて30分程度の距離を、楽器を抱えて歩かねばならない。
想像しただけでげんなりする話だ。

「あとはトイレ事情もかなり深刻らしいで」
タッキーは得意げに語る。
「いろんな人に話聞いたけど、だいたい5人ぐらいのチームに1人はアレらしいで」
つまり、10人超のSIBERIAN-NEWSPAPER一行において、2人はアレってことか?
これは大変だ。
携帯用トイレも買っておかねば。

得意げに語っていたタッキーだが、実はフジロック未経験者で、どれも人から聞いた話しだった。
なんでも自分のライヴハウス出演者からフジロック出演者が出るまでフジロックには行かない、という戒律を自らに課していたらしい。
11年目にしてやっと参加できるとあって、少々うかれ気味だった。

タッキーの話でふと思ったのだが、SIBERIAN-NEWSPAPERの中にフジロック経験者はいるのだろうか?
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2007年08月20日

08.圧倒的少数派

SIBERIAN-NEWSPAPERのメンバーの中にフジロック経験者はいるのか?
かく言う俺は、一度として行ったことがない。
実はフジロック出演が決まった時点ではまだフジロック自体どこで行われているのかすら知らなかったのだ。
新潟と聞いたとき
「あれ、富士山て静岡から新潟に移動したん?」
などと思ってしまった。
聞けば初回は富士山麓で行われたらしいのだが、事情があって新潟に移動したらしい。
なるほど、富士山が移動したのではなく、フジロックが移動したのか。
これは良いことを聞いた、と思い、知り合いに
「フジロックて最初は富士山麓でやっとったけど新潟に移動したんやで!」
と話したところ
「そんなん誰でも知ってますよ」
と返されてしまった。

さて、SIBERIAN-NEWSPAPERでのフジロック経験者だが、確認してみたところ、2人いた。
軍司と山本さんだ。
といっても、軍司はフジロックに出店しているお店の手伝いに行ったとかで、しかも準備中に身内の不幸があり、ほとんど未経験に近いのだとか。
そして山本さんの方はというと、なんと富士山麓で行われた第1回目を観に行ったのだそうな。
ひどい嵐に会い、あまりにも寒すぎたため、レッチリのステージだけ見て帰ったらしい。
第1回フジロックのレッチリといえば「嵐のステージ」として今や伝説となっているのだが、その伝説のステージの感想を聞いたところ
「雨音がうるさすぎてほとんど何も聴こえませんでしたよ」
とのことだった。

とにかく、SIBERIAN-NEWSPAPERにおいてフジロック経験者は圧倒的少数派であり、しかも苗場で行われるフジロックには誰も行ったことがないのだった。
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2007年09月02日

09.前哨戦、そして準備

フジロック1週間前、SIBERIAN-NEWSPAPERは神戸VARIT3周年記念イベントに出演が決定していた。
この日のライヴは、演奏時間、ステージの広さともにフジロックとほぼ同じで、前哨戦にはもってこいだった。
そこで我々は、セットリストをフジロックと同じにし、さらに新たな陣形をここで試すことにした。

結果は中々のもので、お客さんからもいい評価を得られたので、フジロック本番も、同じ曲順、同じ陣形で挑むことにした。
また、この日来ていたお客さんに、フジロックに参戦される方がおり、少なからず勇気付けられたりもした。

神戸VARITでのライヴの日、リハ後から本番までの空き時間に、俺は社長の実家を訪れた。
社長の親父さんが所有しているテントを借りるためだった。
他のメンバーは焼肉丼を食べに行くとのことで、比較的空腹感の少ない俺が社長のお供をすることになった。
実家に着くと、玄関外にテントやらアウトドア用の椅子やらが既に用意されていたので、2人で車に積み込んで帰った。
ライヴハウスに戻ると、焼肉丼を食べ過ぎたメンバーが腹を押さえていたが、軍司だけは元気だった。

社長曰く
「確か8人用やったと思うねん。だから、入られへん人は車中泊でえんちゃうか?」
とのことだったが、中原さんもテントを用意してくれているらしいので、念のためにテントを2つ持っていくことにした。

フジロックまでの1週間はバイトやら準備やらであっという間に過ぎ、いよいよ出発の日を迎えた。
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2007年09月22日

10.出発

フジロック出演日前日の7月27日午前10時
大阪組を乗せたシベリアン号(レンタカー)が大阪を出発した。
執行部は別行動で直接現地に向かうということで、車に乗り込んだのはメンバー5人だけだった。
テント等が加わるため、いつも以上に多い機材を無理やり詰め込んでの行軍だった。

すでに夏休みに入っていることもあり、道は普段より少し混雑しており、サービスエリアはどこも人でいっぱいだった。
短い渋滞にはなんどか捕まったものの、致命的な渋滞に引っかかることはなく、予定より少し遅れて東京に着いた。

東京では雄作と軍司が待っており、そのままスタジオに入って練習を開始。
ただし、翌日に疲れを残さないために、その日は軽くやって終わった。


そして翌日、いよいよフジロック出演当日が訪れた。
その日の朝に、音響担当のスズキさんが合流した。
リハーサルをまともに出来ないフェスでは、出来るだけSIBERIAN-NEWSPAPERの音をよく知っている人にオペーレーティングしたもらった方がいいだろう、ということで、何度かSIBERIAN-NEWSPAPERを担当したことのある旧知のスズキさんに、今回乗り込みオペレーターとして同行してもらうことにしたのだった。
さらに物販担当の陳さんを加えた一行は、いよいよ新潟に向けて東京を出発した。

道中、車の中には音楽が流れる、その音楽担当はいつの間にか真鍋ということになってしまっている。
真鍋が何のCDを持ってくるかによって、道中の雰囲気が決められるのだった。

阿守が真鍋のCDファイルをパラパラとめくっていた。
「うわ、見つけてもうた」
阿守は、1枚のCDをファイルの中から発見した。
「持ってきとったんやなぁ」
「そら持ってきとるでぇ」
それは【やしきたかじん】氏のライヴCDだった。
「かけるんかい?」
「まぁ、見つけてしもた以上はかけないかんやろなぁ」
ということで、車の中にはたかじん氏の【東京】ライヴバージョンが流れ始めた。

以降、【インヴェイ】や【ガンマ・レイ】【ネイション】といった、我々にとっての懐メロを流しつつ、シベリアン号は苗場を目指して走り続けた。
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2007年09月29日

11.到着

東京〜新潟間の道は結構な混み具合だった。
渋滞というほどでもないが、それでもすこし遅めの行軍となり、サービスエリアはどこも人で一杯だった。
季節は夏本番に入ったばかりで、首都圏から郊外へ向かう多くの人の中の何割かは、苗場を目指しているのだろう。

会場近くのインターで高速道路を降りた一行は、まずコンビニに寄った。
すでに前日から会場入りしているタッキーから、電池やらタオルやらの雑貨を頼まれていたのだった。
そのコンビニは、私が普段働いているのと同じ系列のコンビニだったが、完全にフジロック仕様になっていた。
買い物カゴの中には一枚ずつ『フジロック必需品一覧』として、雨合羽やらタオルやらの品目がかかれており、店内にも特設コーナーのようなものが設けられ、私の働いているのと同じ系列の店とは思えないほどだった。

コンビニで買い物がてらの小休止を終えた一行は、いよいよ苗場スキー場に到着した。
苗場プリンスホテルの駐車場に着いた一行は、先に着いていたタッキー、社長、中原さんと合流した。
昨日の夜に社長の車で苗場入りしたタッキーと社長は少々お疲れ気味の様子だったが
「さっきナチュラル・ボーン・キラーズに出とったコに会えたから俺は機嫌いいねん」
と、社長は相変わらずアホなことを言っていた。
「しかし、なんでジュリエット・ルイスがおるの?」
誰に問うでもなく俺が口にすると
「今年出演してるんですよ」
と答えてくれたのは雄作だった。
「え?あのコ音楽やってんの?」
「結構かっこいいですよ」
「へええ」
なるほどここはフジロックの舞台裏。
各国の有名人と、いつ出くわしてもおかしくない場所なのは確かだ。
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2007年10月05日

12.テントを建てる

フジロックの会場には『キャンプサイト』というテントを建てるスペースがある。
そのキャンプサイトを視界に捉えた我々は、その異様な光景に目を見張った。
見渡す限りテント。
このような光景など今まで見たことが無い。
一体どれほどのテントが建ち並んでいるのか。

アーティストパスがあればキャンプサイトには自由に出入り出来る。
タッキーが入り口でアーティストパスを見せたところ、受付の人間は少し驚いてこちらを見た。
「えーと、これあったら入れるんですよね?」
「え、いや、あの、はい。いや、えーと、出演者の、方ですよね・・・?」
「あ、出演者です。けど、テントで寝るんです」
「ああ〜、そうですか。おつかれさんです」
なるほど、出演者がキャンプサイトを利用することはまずないらしい。

先ほど述べたとおり、見渡す限り一面テント。
ということは、テントを建てるスペースを探すのが大変ということになる。
入り口、即ち会場から近い位置は既にテントで埋め尽くされており、スペースを探して我々は歩いた。
「あの辺いけんちゃうん?」
と、誰かが指した所には確かにテントを建てられそうなスペースがあったが、随分距離があった。
そのスペースに辿り着いた時点で、一行は既に体力の大半を使い果たしていた。

キャンプサイトに来る前の段階で社長がフラフラとどこかへ姿を消してしまい、このときここにいたのはメンバー7人とタッキー、中原さん、スズキさん、陳さんの10人で、しばらく経って護衛のマークが合流した。

一行は早速テントを建て始めた。
とにかくアウトドアが全く似合わない者ばかりだったから、もちろんテントを建てた経験のある者などいない。
まずは社長のテントから立て始めたのだが、最近のテントは素人でも建てられるようになっており、四苦八苦しながらもなんとか建てることが出来た。
が、全員がそのテントを見て首を傾げた。
「このテント、8人用って言ってなかったっけ?」
どう頑張っても4人寝るのが精一杯、という大きさのテントを前に、疑問符をちらつかせていた一行だったが、山本さんがその謎を解いた。
「わかった!オールスタンディングで8人ですわ!!」
その言葉に大いに納得した一行は、続いて中原氏の用意したテントを建てた。
こちらも何とか建てることが出来たが、それを前に一行は絶句した。
それはどう見てもテントと呼べるシロモノではなかった。
屋根の部分はしっかりしたテント生地だが、壁(?)の部分は完全に網。
「ん〜、これは完全に蚊帳(かや)だねぇ」
と、中原さんは自分の用意したテントを見てそういった。
そう、それはどう見ても『屋根付きの蚊帳』だった。

この時点で、一行の何割かが『車で寝よう』と決意したのだった。
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2007年11月11日

13.死のロード

テントを建て、キャンプサイトからメインストリートに戻った一行は、いくつかのグループに分かれて会場を散策し始めた。
会場と一言に言っても、フジロックの会場は非常に広い。
小さな街ひとつ分ぐらいの広さは裕にあるのだ。

俺はタラ、軍司とともに、歩き始めた。
ホテルおよびキャンプサイトから最も近い、屋内型ステージの『レッドマーキュリー』を越え、苗場食堂を軽く冷やかしたあと、4万人収容という最大規模を誇る『グリーンステージ』を横切る。
グリーンステージの次に広い1万人収容の『ホワイトステージ』を経て、いよいよ我々の出演する『ジプシー・アヴァロン』へ到着。
その時点で3人ともかなり疲れていた。
人ごみを掻き分けつつ、足元の悪い中、結構な距離を歩いた。
正直あの人ごみの中、機材を抱えてこの距離を歩くかと思うとぞっとする。

数分後、真鍋、山本さん、それにタッキーと合流する。
そういえばアーティスト専用の通路があるとかなんとか聞いていたので、改めてタッキーに確認する。
そして今度はアーティスト用の通路を通ってホテルに戻る。
この時点でタッキーはまだ近辺の視察を、タラもちょっと散策を続けるといって離脱した。

アーティスト用の通路はアスファルトで舗装されており、人も一切通ってないので、非常に歩き易かった。
が、坂が急で、迂回している分距離は長くなっているように思える。
ちなみにそのアーティスト用通路はちょうどグリーンステージの裏を通っており、少し離れた場所からグリーンステージ越しに客席(?)が見えるのだが、その人の多さたるや圧巻だった。

アーティスト用通路を歩いていると、何度か大型のワンボックスとすれ違った。
どうやら機材車らしく、この道を徒歩で利用しているのは我々ぐらいだった。
「もしかして機材車とか出るんちゃうん?この距離機材もって歩くの無理やで」
と軍司が言い出した。
試しに近くにいた警備員に機材車のことを訊いてみると、どうやら車両本部というのがあるらしいことがわかる。
そういえばホテルから会場に向かう際、やらた大型車の停まっていたところがあったことを思い出す。
あれが車両本部ではないか。
我々は早速車両本部に向かう。

「ま、ダメ元やし、ちょっと頼んでみよか」
と軍司が直談判に入る。
自分達が大所帯で、機材も多く、機材を抱えてあの距離を歩くのがいかにしんどいか、メンバーは歩いてもいいのでせめて機材だけでも運んでくれないか、と涙ながらに訴えたところ
「じゃあ、車出しましょうか」
と、意外とあっさり承諾してくれたのだった。

駐車場に戻ると、一行の何割かがそこに待機していた。
そして、機材車の手配に成功したことを告げると、一同大いに歓喜し、メンバーの士気は著しく向上した。

軍司の功績は絶大だった。
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2007年12月17日

14.軍司の功罪

「軍司君、怒られた」
一行が集まりつつある駐車場に現れたタッキーが、最初に放った一言がそれだった。

駐車場に戻ってきたメンバーは、軍司の功績を褒め称えていた。
それはそうだろう。
あれだけの重い荷物を抱えて、手ぶらで歩いてもうんざりするような距離を歩くというのは、想像するだけで疲れようというものだ。
それを回避できたのだから、その功績はいくら褒めても褒めたりないぐらいだ。
それに褒めるのはタダなのだし。

そこへタッキーが戻ってきた。
「いま、中原さん上層部に呼ばれて説教されてるわ」
場は一気に静まり返った。
曰く、車の手配は綿密な計画のもと行われており、勝手に動かされるとスケジュールが狂ってしまうとのこと。
さらに、ジプシー・アヴァロン出演者は原則として機材車の手配はナシ、という条件を承知の上で出演しているのだから、勝手なことをされては困る、のだそうな。
「仕方がないから行きだけは出すけど、帰りは出せんとのことやわ」

タッキーの説明を聞いて、軍司が一気にヘコむ。
「うわぁ〜・・・。俺もしかしていらんでええことした・・・?」
とはいえ、行きだけでも車を出してもらえるというのは正直ありがたいことだし、それがいい演奏に繋がるのであれば、それはそれでいいのではないか。
「軍司君、そうヘコむなよ。俺らが怒られて君らがいい演奏できるんやったら、問題ないやないか」
と、タッキーが軍司を慰める。


一行は機材を持って車両部へ。
機材だけでも運んでもらえたら恩の字、と思っていたのだが、結局メンバーおよびスタッフを運んでもらえた。
ありがたや。

車はホワイトステージ近くの専用駐車場に停まった。
そこで機材を降ろし、ジプシー・アヴァロンへ向けていざ出発。
と思っていたら、運転手の方に呼び止められる。
「帰りは何時に来ましょうか?」
・・・いや、車を出してもらえるのは行きだけのはずでは?
そう訊ねてみると
「いえ、帰りもきますよ。じゃ、終わってちょっと経ったぐらいに待機しときますんで、またここまできてください」
う〜む、なんとありがたい申し出だろう。
一行はお言葉に甘えることにした。

一行はジプシー・アヴァロンで中原さんと合流した。
「中原さん、すんませんでした」
会うなり軍司が謝ったが
「ラッキーだったね」
と、中原さんは気にしていない様子だった。
posted by hilao at 20:05| Comment(0) | 本文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月18日

15.本番

こういうフェスティバルは大抵リハーサルなしで本番に突入する。
そういうわけで、会場に着いた時点で本番まで1時間も無い状況だった。
スタッフの方からステージ近くにある『朝霧食堂』の食券をもらったので、メンバーの何人かは食事をいただく。
ちなみに俺はいただいたし、軍司ももちろんいただいた。

転換を円滑に行うため、舞台裏でセッティングできる部分はやっておく。
そこで司会の方を紹介された。
カウボーイハットのナイスミドルといったところか。

前の出演者が終わり、いよいよ出番となる。
「ジプシー・アヴァロンというステージでの彼らは、見ているこちらが心配してしまうくらい緊張していた」
と後日評価されたように、我々は緊張でガチガチだった。
特にひどかったのは俺だろう。
なんせライヴの始まりを告げるのが俺のドラムロールだったのだから。
最初の音を上手く出せたのかどうか、実はよくわかっていなかったのだが、始まってしまった以上やめるわけにはいかないので、ワケのわからないまま演奏を続けた。

ジプシー・アヴァロンは公称1,000人という収容人数。
1,000人というお客さんを前に演奏なんぞしたことがないので、さぞ圧巻なのだろうと思っていたが、いざ蓋を開けてみれば後ろの方は真っ暗で、数を実感することは出来なかった。
確認できるのは前の方の100〜200人ぐらいで「後ろの方は無人だったんだよ」といわれても納得してしまいそうなほど真っ暗。
とはいえ、ライヴ中に雄作が
「後ろの方まで届いてますかぁ〜!?」
と呼びかけたところ、随分後ろの方からも反応があったので、結構人はいたのだと思う。

随分ぎりぎりまで演奏していたのだろうか。
演奏が終わるや急いで司会の方が入って来て、我々のライヴの終わりを告げた。
ただ、いくら急いでいたからといって
「シベリアン・ハスキーでした〜!!」
はないだろう。
まあ、それもご愛嬌、といったところか。

演奏を終え、機材を片付けた一行は、ジプシー・アヴァロンを発ち、ホワイトステージ裏の駐車場へ向かう。
ジプシー・アヴァロンとホワイトステージの間には、結構急な坂があるのだが、坂というのは上りよりも下りの方が実はキツい。
上りのキツさは筋肉にくるが、下りのキツさは関節くるからタチが悪い。
演奏の疲れの上に、タチの悪い苦痛を受けながらも、なんとか駐車場に辿り着いた一行は、車に乗り込んだ。
機材はというと、スタッフの方がテキパキと積んでくれた。
ありがたや。

しかし、この疲労困憊の状況で、機材を抱えて急勾配の上り下りに蛇行を加えた数十分の道のりを、本来は歩かねばならなかったかと思うとぞっとする。
無茶を通した軍司と、そのせいで怒られた中原さんと、柔軟な対応をしてくれた車両部の皆様に心から感謝したい。
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2007年12月19日

16.社長離脱

出番を終えた一行は、ジプシー・アヴァロンを出発し、苗場プリンスホテルの駐車場へと向かった。
途中、レッドマーキューリー脇を通った時、ベンジーの歌声が聞こえてきた。
出来れば見たかったが、その気力はなかった。
駐車場に着いた一行は、機材を自分達の車に片付けたあと、苗場食堂に向かった。
そのときもレッドマーキュリー脇を通ったのだが、ベンジーのライヴはすでに終わっていた。

苗場食堂にもステージがあり、そこでももちろんライヴが行われていた。
ステージから少し離れた所にレジャーシートを敷いて一行が陣取ると、何人かは屋台を物色しはじめた。
その何人かの中に軍司が含まれているのは言うまでもないことだが。

苗場食堂は、食堂とはいっても野外にある。
テーブルやイスも用意されていたが、ほとんど埋まっていたので、地べたにレジャーシートを敷いたのだった。
しかし、しばらくすると奇跡的にいくつかのテーブルが空いたので、そのいくつかのテーブルとイスを適当に寄せ集めて陣取った。
そして、折りよく中原さんや社長、軍司やタッキーらが食べ物や飲み物を調達してきてくれた。

まずは乾杯。
そして食事をいただく。
ものによって多少の当たり外れはあったものの、どれもおいしくいただけた。

「ほな、俺そろそろ帰るわ」
と社長が席を立った。
「え、どこに帰んの?」
あまり事情を把握していないメンバーの誰かが社長に訊ねた。
あるいは俺だったかもしれない。
「名古屋」
どうやら翌日に仕事を控えているらしく、社長は今からご自慢のBMWを飛ばして職場である名古屋に帰るらしい。
「ご苦労はんだす!」
一行は社長の労苦を労いつつ見送った。
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2007年12月29日

17.極楽

食事を終え、社長と別れた後、自由行動となった。
雄作、陳さん、マークの3人は『ヴィンセント・ギャロ』を見に行くといって一行を離脱。
阿守は何も言わずテントへ消えていった。

残りはホテルへ。
俺は無性に風呂に入りたくなったのでなんとかならないかタッキーに訊いてみると
「苗場温泉があるなぁ」
との答えが返ってくる。
『苗場温泉』といっても、フジロック用に設置された簡易の入浴施設で、あまりゆっくり出来そうには無かった。
シャワーさえ浴びられれば・・・などと謙虚なこと言ってもいいのだが、出来ればゆっくり風呂につかりたい。
その旨を伝えると
「そういえばプリンスホテルに大浴場があったなぁ。うちら一応出演者やし、入れんちゃう?」
一応とはなにか、一応とは。
との文句は胸うちに押さえ、早速大浴場へ向かう。

皆が皆ついて来るものと思っていれば、同行したのは山本さんだけだった。
あとの者は後から入るといって、キャンプサイト入り口付近の屋台をひやかし始めた。

「平尾さんと2人っていうのも珍しいですね」
と山本さんに言われたのだが、実は俺も同じ事を考えていた。

浴場に着くと、ホテルのスタッフが満面の笑顔で
「どうぞごゆっくり〜」
とタオルを貸してくれた。
ありがたい。

そして満を持しての入浴。
湯船につかった瞬間
「ああ、俺はこの快感を得るためにフジロックに出たに違いない」
と、本気でそう思えるほどに幸福だった。
まさに極楽。

「やあ、どうもどうも」
しばらくすると中原さんが浴場に来た。
俺と山本さんはもう充分に入浴を堪能したので、中原さんとはほぼ入れ違いに浴場をあとにした。

着替え終わり、浴場を出ると、そこには入浴待ちの行列が出来ていた。
なるほど、そろそろメインイベントもほぼ終わろうかという時刻だ。
早めに入っておいてよかった。

風呂を出て、ホテルのロビーでゆっくりしていると、山本さんの携帯電話が鳴った。
軍司からだった。

「ゴンドラの下で飲んでるから来い、とのことです」
posted by hilao at 15:16| Comment(1) | 本文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月30日

18.打ち上げ?

ゴンドラの下に行くと、一行がほぼそろっていた。
いないのは阿守とタラ、中原さんぐらいで、雄作たちも帰ってきていた。
試みにヴィンセント・ギャロの感想を訊いてみると
「無茶苦茶遠かったです」
とステージの遠さを口にするばかりで、ヴィンセント・ギャロについては多くを語ってくれなかった。

タラの不在を指摘すると、
「寝るとか言うてキャンプサイトにいったで」
とタッキーが答えた。
それで初めてタラの不在に気付いた軍司は
「ホンマに!?アイツ・・・寝ささへんぞ」
と軍司はタラの携帯電話を鳴らす。
「おい、お前何しよんぞ?・・・え?迷った?」
どうやらタラは星の数ほどあるテントの中から、自分達のテント見つけられなかったらしく、キャンプサイトをさまよっているようだったので、キャンプサイト入り口で合流することにし、軍司、俺とほか数名がキャンプサイト入り口付近の屋台へ買出しに出た。

キャンプサイト入り口で無事タラと合流したお使い組は、いくつかの飲み物と、食料を買って一行のいるゴンドラ下へ戻った。
「タッキー、豚汁買ってんけどやぁ、来る途中になんか知らんけど中身が減ってしもてん」
と、軍司が手に持った豚汁の容器をタッキーに見せる。
「寒すぎて蒸発したんかなぁ?」
容器の底に、申し訳程度に残っている豚汁を見たタッキーは
「いやいや蒸発も何も、具までなくなっとるやないか。君が食ったんやろ?」
と、軍司の罪をあっさり見抜いてしまった。

一行が座っているところに、銀紙のようなシートが敷かれていた。
ものすごく薄い、銀色のナイロンのようなシートだった。
「なんか、NASAがどうのこうので、断熱がどうとかこうとかいうシートらしいから買ってんけど、広げてみたらびっくりするぐらいペラッペラやったわ」
と、このシートを近所のホームセンターで購入した真鍋がシートについて説明してくれた。

1時間ほどでささやかな酒宴は終わり、一行は寝るために解散。
タッキー、雄作、陳さんはテントで寝るためにキャンプサイトへ。
キャンプサイトはもうこりごりのタラと、初めからテントに見切りをつけていた軍司、山本さん、真鍋、マークは車中泊のために駐車場へ向かった。

俺はというと、スズキさんが
「いまちょうど卓球やってるから、ちょっと見に行ってみようかなと思ってる。レッドマーキュリーやったらここから近いし」
というので、俺も一緒に『石野卓球』を見に行くことにした。

俺は中学時代、『電気グルーヴ』を聴いていた時期があった。
しかし、テクノに興味があったわけではなく、単に歌詞が面白いから、という理由で聴いており、彼らの音楽的な部分には全くの理解がなかった。
その後、音楽を始めて十数年、いまなら少しは石野卓球という人物の音楽を理解できるようになっているかもしれない、と思い、スズキさんについてレッドマーキュリーへ行ってみた。

とにかく凄い人だかりだった。
「とりあえず行けるとこまで行ってみようか」
と、2人で人ごみをかき分け、前へ前へと進む。
時折、周りが「ワー!」と盛り上がるので、我々も合わせて手を挙げ声を上げた。
そして、ステージ近くに辿り着いたのとほぼ同時に、石野卓球のステージが終わったので、2人はそこから離脱した。

「どうやった?」
レッドマーキュリーを離れた後、スズキさんに感想をきかれたものの
「周りが盛り上がってる所で合わせて盛り上がってはみたものの、正直なんで周りがあそこで盛り上がってんのかは全くわかりませんでした」
と、正直にテクノが理解できなかったことを告げると
「実は俺もやねん」
と、スズキさんもテクノを理解できなかったことを白状した。

いくら長いこと音楽に携わっているとはいえ、違う畑のことはあまりよくわからないらしい。
posted by hilao at 09:35| Comment(0) | 本文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月31日

19.就寝

スズキさんは翌日に仕事を控えており、朝のバスで駅に向かうということだった。
どうやらマークも帰りの電車の切符を予約しているらしく、同じバスで駅に向かうらしい。
時刻は既に3時を回っていた。
朝のバスは混むので、5時ぐらいにバス停に向かうというスズキさんは、体力の続く限り時間を潰すらしい。
寝るにしても、マークと合流する予定なので、車の方で寝るとのこと。
俺はテントで寝たかったので、ここでスズキさんと分かれた。

真夏とはいえ、ここは新潟の山中。
夜になると非常に冷える。
実際の気温が何度だったかは忘れてしまったが、体感温度は大阪の真冬と変わらない程度だった。
とにかく寒い。
既に雨合羽を着てはいたが、それでも寒さを完全に防ぐというわけにはいかず、ブルブル震えながらキャンプサイトに入った。

そして迷った。

なるほど、タラが迷ったのも頷ける。
これだけのテントの中から、自分達のテントを探し出すのは至難の業ではないか。
もしかして、実は誰一人テントに辿り着いていないのではないか、と思いつつ30分ほどキャンプサイトをさまよった結果、無事テントに辿り着いた。

社長の方のテントを見てみると、既に3人が寝ていた。
オールスタンディングで8人収容のテントは、だが、3人で寝るのが精一杯のようだったので、俺は仕方なく中原さんの方の、テントという名の屋根つき蚊帳に入った。
入ったものの、テント内の温度は外気と全く変わらなかった。

さらに、こちらのテントは、地面がむき出しになっていた。
そういえば、ホテルの売店でシートか何かを買わなければならない、とかなんとか言っていたのだが、忘れていた。
社長の荷物にレジャーシートが2枚入っていたのだが、その2枚は先着の2名に占領されていた。

1人はタッキー。
雨合羽をまとい、マヌケ面で眠っていた。
もう1人は・・・誰だ?

タッキーの他にもう1人眠っていたのだが、顔が確認できない。
まっすぐ気をつけの形で眠っているのだが、頭の部分は雨合羽のフードで隠れていた。
これが、仰向けに雨合羽を前後逆に着て顔にフードを被せているのか、うつ伏せで額を地面につけているのかが判別できない。
それ以前に、生死すら定かではない。

とりあえず俺は、真鍋からペラッペラのシートをもらっていたので、それにくるまって寝ることにした。
シートを広げてガサガサしていると、一瞬タッキーが目を覚ましたので、
「タッキー、これ誰?」
と、正体不明表裏不明生死不明の存在を指して訊ねてみると
「ん・・・中原さん」
と一言だけ言って再び眠りに就いた。

表裏と生死についてはともかく、正体は明かされたので、とりあえず一安心して俺は眠りに就いた。
ペラッペラのシートだが、くるまってみると意外と暖かい。
なるほど、NASAがどうのこうので断熱がどうとかこうとかいう表現に、誇張はあれどまったくの虚構ではないのかもしれない。
ただ、その薄さゆえ、体に伝わる土の感触だけはどうにも解消出来ず、快適とは程遠い就寝となった。
posted by hilao at 12:13| Comment(1) | 本文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月01日

20.起床

カチリ、という音で目が覚めた。
見れば、阿守が煙草に火を点け、自分が持ってきたイスに座っていた。
「・・・おはよう」
「ああ、起こしてしもた?ゴメンゴメン」
「いや、ええよ」
「びっくりしたわ。1人で寝てて、気がついたら3人になってた」
「ああ、雄作と陳さんな」
「・・・ところでそれ・・・誰?」
「ああ、中原さん。裏か表かわからんやろ?」
「いや、それ以前に・・・生きとん?」
「・・・さぁ?」
時計を見ると、ちょうど5時ぐらいだった。
1時間ほどしか眠っていないのだが、妙に目が冴えてしまったのでそのまま起きることにした。
もしかしたらまだスズキさんとマークがいるかもしれないので、折角だから一言挨拶だけでもしようと思い、2人で一旦駐車場に戻った。

車では山本さん、真鍋、軍司、タラが眠っていたが、スズキさんとマークの姿はなかった。
どうやら既にバス乗り場に行ってしまったらしい。

急激な空腹感を覚えた俺は、自分のカバンから持参していたカロリーメイトを取り出し、車からさほど離れていない河原の土手にしゃがみ、もそもそとそれを食べ始めた。
阿守も近くに座り、煙草をふかしていた。

カロリーメイトを食べながら川の対岸をぼーっと見ていると、行列が目に入った。
目で追っていくうちに、それがとんでもない長さだということに気付く。
そして、その先頭にはバス乗り場があった。
俺はなんとなく阿守に話しかけた。
「なあ、あの行列にスズキさんとマークがおるんやんなぁ」
「そうやろなぁ」
「5時ぐらいに行くとか言うてたから、まだ後ろの方やろなぁ」
「多分なぁ」
「それで、6時だが7時だかの電車に間に合うかなぁ」
「間に合わんやろなぁ」
どうやらここは車で送っていくのが正解だろう、ということで、スズキさんとマークに連絡し、駐車場に戻ってくるよう告げ、山本さんを起こす。

10分ほどでスズキさんとマークが戻ってくる。
「いや〜、1時間半前にいったら充分やろと思っとったけど、甘かったわ」
2人を車に乗せ、駅へ向けて出発。

山本さんを起こした時点で軍司と真鍋も一緒に起きたのだが、タラは眠ったままだった。
車が出発してしばらくしたあと
「あれ・・・?もう帰ってんの?」
とタラは一時目覚めたのだが
「夢や。黙って寝とったらええ」
と阿守に言われるや
「はい」
といって再び眠りについた。

車は無事駅に到着し、スズキさんとマークはなんとか電車に乗ることが出来た。
posted by hilao at 02:25| Comment(1) | 本文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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