2007年08月20日

08.圧倒的少数派

SIBERIAN-NEWSPAPERのメンバーの中にフジロック経験者はいるのか?
かく言う俺は、一度として行ったことがない。
実はフジロック出演が決まった時点ではまだフジロック自体どこで行われているのかすら知らなかったのだ。
新潟と聞いたとき
「あれ、富士山て静岡から新潟に移動したん?」
などと思ってしまった。
聞けば初回は富士山麓で行われたらしいのだが、事情があって新潟に移動したらしい。
なるほど、富士山が移動したのではなく、フジロックが移動したのか。
これは良いことを聞いた、と思い、知り合いに
「フジロックて最初は富士山麓でやっとったけど新潟に移動したんやで!」
と話したところ
「そんなん誰でも知ってますよ」
と返されてしまった。

さて、SIBERIAN-NEWSPAPERでのフジロック経験者だが、確認してみたところ、2人いた。
軍司と山本さんだ。
といっても、軍司はフジロックに出店しているお店の手伝いに行ったとかで、しかも準備中に身内の不幸があり、ほとんど未経験に近いのだとか。
そして山本さんの方はというと、なんと富士山麓で行われた第1回目を観に行ったのだそうな。
ひどい嵐に会い、あまりにも寒すぎたため、レッチリのステージだけ見て帰ったらしい。
第1回フジロックのレッチリといえば「嵐のステージ」として今や伝説となっているのだが、その伝説のステージの感想を聞いたところ
「雨音がうるさすぎてほとんど何も聴こえませんでしたよ」
とのことだった。

とにかく、SIBERIAN-NEWSPAPERにおいてフジロック経験者は圧倒的少数派であり、しかも苗場で行われるフジロックには誰も行ったことがないのだった。
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2007年08月17日

07.さながら苦行

フジロックは山の中で行われる。
まず過酷なのが昼の暑さ。
それはそうだろう。
7月末といえば夏真っ盛りなのだから、暑くないほうがおかしい。
それは容易に想像がつくのだが、さらに恐るべきは夜の寒さ。
想像以上に冷えるらしく、防寒具は必須アイテムらしい。

そして雨。
フジロックは今まで必ずといっていいほど雨に見舞われているらしく、しかもSIBERIAN-NEWSPAPER一行には雨男であるこの俺と、『嵐を呼ぶ女』ことスタッフの陳さんがいるので、雨に関しては覚悟を決めておく必要がある。
人が多すぎるので傘をさすのはまず無理。
必ず雨合羽(あまがっぱ)を用意せよとのこと。
あと、楽器の防水対策も各自考えておけとのことなので、俺は大きめのゴミ袋を用意することにした。
幸い俺の楽器類は基本的に合成樹脂×プラスチックヘッドという、雨に強いものばかりなので、ほとんど心配する必要はないが、他のメンバーは相当気を使わなくてはなるまい。

駐車場からステージまでの距離も相当なものらしく、歩いて30分程度の距離を、楽器を抱えて歩かねばならない。
想像しただけでげんなりする話だ。

「あとはトイレ事情もかなり深刻らしいで」
タッキーは得意げに語る。
「いろんな人に話聞いたけど、だいたい5人ぐらいのチームに1人はアレらしいで」
つまり、10人超のSIBERIAN-NEWSPAPER一行において、2人はアレってことか?
これは大変だ。
携帯用トイレも買っておかねば。

得意げに語っていたタッキーだが、実はフジロック未経験者で、どれも人から聞いた話しだった。
なんでも自分のライヴハウス出演者からフジロック出演者が出るまでフジロックには行かない、という戒律を自らに課していたらしい。
11年目にしてやっと参加できるとあって、少々うかれ気味だった。

タッキーの話でふと思ったのだが、SIBERIAN-NEWSPAPERの中にフジロック経験者はいるのだろうか?
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2007年08月15日

06.模擬戦は訓練へ

京都駅ビルのライヴが行われる7月14日が近づいてきたのだが、それと同時に台風も近づいてきた。

SIBERIAN-NEWSPAPERは以前、京都駅ビルのライヴイベントに出演したことがある。
その際、用意していたCDが売切れるなどかなりの好評を得たため、雄作なんぞは翌7月15日に東京で演奏の仕事を控えているにもかかわらず
「京都駅ビルのイベントなら!」
ということで、トンボ帰りを承知の上で大阪に向かっていた。
そして大阪に到着するや
【明日の京都駅ビルイベントは台風接近のため、安全を考慮して中止となりました】
との報をうけることになった。

しかしせっかく来たのだから、ということで、長時間の練習に入った。
実は翌8月末〜9月初頭にかけて、2ndアルバムのレコーディングを予定しており、その曲作りとフジロックの練習を兼ねた強化訓練に入ろうというわけだ。
強化訓練などと大それたことを言ってはいるものの、結局は数時間程度のことだが、それでもやらないよりは幾分かマシだろう。

その訓練の休憩中、スタジオと同じフロアにあるライヴハウスの店長、鬼マネージャーことタッキーが現れた。
「君ら、2週間後にフジロックを控えとるワケやけども、準備は進んどるか?」
フジロックといえば山の中。
山の中といえば虫が多かろう、という程度の想像しか働かなかった俺がその時点で用意していたものは、携帯用の蚊取りぐらいのものだった。
「平尾くん、君は何でそういう”あると便利やけど必需品とはいい難いもの”をピンポイントで用意するんや?イギリス行ったときも緑茶やら醤油やらは用意して重宝がられたけれども、現金は用意しとらんかったやないか。1週間のイギリス滞在で5000円はないで」
余計なお世話だ、話がずれとるではないか。

とにかく、そのとき我々はタッキーからフジロックフェスティバルの過酷な状況を聞いたのだった。
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2007年08月13日

05.陣形再編

俺がSIBERIAN-NEWSPAPERとは別の用件で東京に行ったときのこと。
いつものように雄作の家で泊まっていると、雄作が一枚のCD-Rを手に取った。
知り合いが撮ってくれたSIBERIAN-NEWSPAPERのライヴ写真らしい。
その膨大な量の写真を見ているうちに、雄作があることに気付いた。
「立ち位置ちょっと変えてみません?」
それまでの基本的な立ち位置は、中心から左右少しどちらかにずれた辺りにヴァイオリン、その反対側にギター2人、外側両端にコントラバスとピアノ、ピアノの前にタラ、中心後方にパーカッション、といったもので、要はヴァイオリンが真ん中辺りに立って、それを中心に立ち位置を決めるというものだった。

雄作の新たな提案は、パーカッションの中央後方はそのままにし、前方の中央にギター2人を据えてしまおうというものだった。
そして左右両翼にヴァイオリンとコントラバス、ヴァイオリン外側後方にピアノ、コントラバス前方中央よりにタラという立ち位置だ。
「なるほど、鶴翼(かくよく)の陣やね」
中央から外側に向かって広がっていく形が、古代の陣形を連想させた。

新しい立ち位置を思いついた雄作は、早速メンバーに伝えた。
「なるほど、鶴翼の陣かぁ」
予想通り、阿守は俺と同じ感想をもったらしい。

それから2週間ほど後の7月14日、京都駅ビルでのライヴが控えていた。
京都駅敷地内とはいえ、その日は野外であり、しかも3ステージを予定していたので、フジロックの模擬戦にはうってつけの日だった。
陣形やセットリストなど、いろいろ試すには絶好の機会だ。
ただし、お客さんを楽しませるというのは大前提だが。

ともかく、フジロックの前途を占うといっていい京都駅ビルのライヴが近づいてきた。
posted by hilao at 13:00| Comment(6) | 本文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月12日

04.作戦名【神々の黄昏】

SIBERIAN-NEWSPAPERは、結成翌年から毎年海外フェスへ出演すべく尽力している。
スイスの【モントルー・ジャス・フェスティバル】とカナダの【モントリオール・ジャズ・フェスティバル】へは、毎年応募しているのだが、残念ながら未だに参加は実現していない。
もちろんそのたびにメンバー間では
「なんで!?」
が連呼されるのだ。
昨年はマンチェスターで行われた【In The City】に出演できたが、今年は1つも海外フェスに出られそうにない。
しかし、来年は上記二つに加えてイギリスの【グラストンベリー・フェスティバル】にも出る予定だ。
「本当に出られるの?」
なんて声も聞こえそうだが、言うのはタダなのだ。

2007年の主要な海外フェスに出られないことが決まった我々にとって、フジロックは最後の望みだった。
だが、春が過ぎ、初夏が訪れても出演決定の報がない。
出演交渉にあたっていた中原さんからは
「内定はもらってる。でもねぇ、まだ確定じゃない」
という状況説明をいただき、その状態が随分長いこと続いた。
フジロックに限らずこういった夏フェスは、まずスケジュールを押さえにくい海外の大物アーティストから出演を決定していくのだそうな。
そして知名度の高い国内アーティストを決めていき、我々のような無名国内アーティストは一番後回しにされるのだ。
そのため、出演アーティストが続々と報じられる中、SIBERIAN-NEWSPAPERの出演は未だ決定しないまましばらく時間が過ぎた。

そしてフジロックの開催を約2ヶ月後に控えた5月の終わりごろのこと。
いつもどおり深夜のコンビニで働いていた俺は、休憩中に携帯電話を手に取った。
すると、待ち受け画面にメール着信のお知らせが出ていたので、そのメールを開いた。

差出人:阿守
件名:フジロック出演決定
本文
作戦名「ラグナロック」
手がちぎれるまで叩け!

SIBERIAN-NEWSPAPERのフジロック'07への出演が決定した。
posted by hilao at 14:00| Comment(0) | 本文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月04日

03.雄作、不参加の危機

フジロック’06へ参加出来なかった2006年の夏、実は我々は別の野外イベントに参加していた。
オーサカキングという、フジロックとほとんど同じぐらいの時期に大阪城で開催された、大阪ではそれなりに知名度のあるイベントだった。
そしてそのイベントに、なんと雄作が参加できなかったのだ。
公式には『硬筆検定4級の試験を受けに行くため参加を断念』と公表されていたが、実際は他所で演奏の仕事が入っていたため、参加できなかったのだ。
しかも、我々が出演したのは、オーサカキングのメイン会場とは天地ほども離れた場所にある、天守閣の特設ステージとやらで、急勾配の上り坂を、30分ほど楽器を抱えて歩かねばならないという憂き目にあった。
あれは本当に地獄だった。

さて、フジロックに参加できなかった2006年が過ぎ、2007年になった。
SIBERIAN-NEWSPAPERのメンバーは、東京、横浜、大阪と、メンバーが離れて生活していることや、それぞれが別のバンドや演奏の仕事をすることがあるので、事前にNG日、つまり『この日はSIBERIAN-NEWSPAPERのライヴを入れないでおくれよ』という日を13PROJECT執行部に知らせるというシステムがある。
それを参考に、執行部がライヴのスケジュールを組むわけだ。
そのNG日を見ていたマネージメントのタッキーが、とんでもないことに気付いた。
「雄作くん!!きみ、この7月末のNG日はなんや!?」
「何って、岡山で演奏の仕事があるんですけど」
「これ、思いっきりフジロックにかぶっとるんやけど」
「え、フジロック決まったんですか?」
「決まってないけどもやな、可能性はゼロでないんやから・・・。オーサカキングの二の舞はごめんやで」
「・・・・・・わかりました、なんとかします」
「頼むで!!」
「その代わり、絶対決めてくださいよ」
この時の雄作の目に、殺気というか妖気というか、とにかく異様な光が宿っていたことに、その場にいた全員が気付いていただろう。
特にその眼光をまともに受けていたタッキーは、『蛇に睨まれた蛙』の様相をそのまま具現化したような顔をしていた。

それから数ヵ月後、フジロック’07出演決定後にこのことを思い出した俺は、この岡山での演奏の仕事はどうなったのか雄作に聞いてみた。
「断ってましたよ、随分前に。おかげで年末の仕事も1つ消えましたよ」
「いやぁ〜、じゃあ、決まってよかったね、フジロック」
「当たり前ですよ。決めてもらわないと困ります。もし今年も駄目だったなんていったら執行部の連中を・・・」
ここから先は怖くて書けない。

とにかく、雄作不参加の危機はなんとか免れたのだった。
posted by hilao at 11:21| Comment(0) | 本文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月03日

02.憧れは実現しない

藤田”軍司”一宏
SIBERIAN-NEWSPAPERを知る方々から一般に『軍司』と称されるこの男を、中学時代から『一宏』と呼んでいた俺にとって、今さら『軍司』と呼ぶことにはそれなりに抵抗がある。
小学生のころから同級生だったタラにしても同様の抵抗があるようだし、以前職場の同僚だった山本さんは今でも『藤田くん』と呼んでいる。
だが、おそらくこの記事を読んでいる大半の人の彼に対する認識は『軍司』であろうから、今後文章の上では不本意ながらも『軍司』と記させていただく。

さて、その軍司が、少しまえこんなことを言っていた。
「憧れは、憧れであるうちは実現しない」
一言一句正確にそういっていたわけではないが、大雑把に要約するとこのようなことを言っていたのだ。
例えば憧れの大舞台があったとして、「いつかその舞台に立ちたいなあ」なんて憧れているうちはおそらくその舞台には立てないのではないか。
「そこに立って当たり前」
というぐらいの気構えがないといかんのではないか、という話だ。

その辺り、SIBERIAN-NEWSPAPERのメンバーは不届き者揃いなので心強い。
実は昨年、つまりフジロック’06にもエントリーしていたのだ、我々は。
まだ自主制作のCDを一枚出したばかりで、その時点では2〜300枚程度を何とか売り上げる程度の実績しか持ち合わせておらず、ライヴをやっても30人集められれば上出来、しかも東京・大阪以外では誰もその存在を知らないといった状況にあるバンドが、たとえフジロックに出られなかったとしても、
「まあ力不足だから仕方がない。いつかまた機会があれば・・・」
などと考えるのが普通なのだろう。
だが、中原さんから
「今年、フジロックだめだったわ〜」
と伝えられるや、メンバーから出た言葉は

「なんで!?」


後に軍司は言う
「今年(‘07)フジロック決まったやん?みんなやぁ『フジロック出れて当たり前』って思ってたやろ?俺も思ってたし。俺はそれがよかったんじゃないかなぁ、って思うねん」
posted by hilao at 16:40| Comment(0) | 本文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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